筆記文化の水先案内人。
デジタルとの邂逅の先に見る新世界への航海。

筆記文化の水先案内人。
デジタルとの邂逅の先に見る新世界への航海。

大正期、西洋列強に追いつくべく、船乗りだった二人の男が100年以上も前に立ち上げたパイロット。純国産万年筆の製造に初めて成功したことでもよく知られている。そして今、水先案内人の名を持つ老舗ステーショナリーメーカーが、新たな挑戦とも言えるアナログとデジタルの融合という大海原へと漕ぎ出そうとしている。2020年のコネクテッド・インクを契機に始まったワコムとの協業は、どのような航路を描くのだろうか。

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水先案内人:未知の世界への航路を拓くもの

船舶が港湾や河川といった狭い水路を通行する際、その船に乗り込んで安全な航行を助ける「水先案内人」を意味する「パイロット(Pilot)」。職能としての水先案内人の歴史は古く、西暦250年から300年頃に生きたローマ軍属の墓碑銘に、イングランド北部の河川航行を指揮した記録が残るという。歴史上、最も名の知れた水先案内人の一人は、大航海時代を生きたフィレンツェ出身の冒険家 アメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespucci)であろう。43歳の初航海を皮切りに、合計4回、カリブ海から南米東岸を探検。欧州世界から見た「新大陸」の発見に言及する論文を著したヴェスプッチに対する敬意から、ラテン語表記名の「アメリクス・ウェスプキウス(Americus Vespucius)」に因んで、その新大陸(南米大陸)は「アメリカ(America)」という呼称を与えられた。1508年、スペイン国王・カルロスI世(神聖ローマ皇帝・カールⅤ世)から航海士総監(Pilot Major)に任じられ、以降、航海に関する技術と知識の発展に尽力したヴェスプッチは、新時代の海原を切り拓いた「パイロット」であった。

世界で筆記文化を支えて100余年

「水先案内人」の名を冠する株式会社パイロットコーポレーションは、1918年の創業以来、世界で筆記文化を支え続けてきた日本を代表するステーショナリーメーカーだ。その前身は、東京高等商船学校(後の東京商船学校、現在の東京海洋大学)で教鞭を執っていた並木良輔が、同窓の和田正雄と共に立ち上げた株式会社並木製作所である。青年期、商船での仕事で用いる烏口(製図用具のひとつで、均一な太さの線を引くことができる一方、インクの取り扱いなどが難しい面もあるとされる)に満足していなかった創業者は、より扱いやすい筆記具を求めて純国産万年筆の製造・販売に成功した。社名としてのパイロットが登場するのは1938年(昭和13年)のこと。航海と縁の深い二人の創業者は、業界を先導する存在になるべく、水先案内人を意味するこの言葉を社名とした。この時までに、日本の伝統工芸である蒔絵の技術を駆使した万年筆などにより、国内外ですでに高い名声を獲得していたことも、ここで付け加えておきたい。

日本に押し寄せる近代化の波。そのただなかで「世界」に目を向けていた並木と和田にとって、事業は単なる営利追求ではなく、日本人が持つ精巧なものづくりの実力を知らしめるためであり、質の高い輸出品を生み出すことで国や社会に貢献するためのものだった。創業から100年以上を経た現在でも、「三者鼎立(使う者、売る者、つくる者の三者にとって利益があること)」「憂喜和精神(憂いをともにし、喜びを分かち合うこと)」「難関突破(会社という同じ船に乗る者として難関に挑むこと)」「一日一進(奢りや遅滞を戒め、常にたゆまぬ努力怠らないこと)」「至誠真剣(至誠をもって真剣に取り組むこと)」という社是として掲げられた創業の意思は、脈々と受け継がれている。

業界を牽引し続ける進取の精神

パイロットの社風を表す特徴のひとつに、最先端技術を競合他社に先駆けて市場に投入するという革新性が挙げられる。「書く」という行為が思考や創造といった人間特有の文化と深く関わっていることを意識しながら、長時間にわたって書き続けても疲れにくい太軸を採用した「ドクターグリップ」や、摩擦でインクを透明にすることで消えたように見せる「フリクション」など、既成概念を打ち壊すヒット商品を次々に開発してきた。現在、創業時の主力商品であった万年筆は売上全体の5%ほどで、その他の多様な筆記具が現在のパイロットの根幹を担う。パイロットのブランドメッセージは「書く、を支える。」。新しい挑戦を続けるのは、ひとえに時代に合った「書く」を支えるためと言えるだろう。

そのパイロットが次なる挑戦のひとつとして取り組んでいるのが、「書く」をデジタル化することによる新しいマーケットへの参入だ。そのきっかけは2020年のコネクテッド・インクだった。クリエイティブに関わる多種多様な人たちが集い、そこで巻き起こる創造的混沌からの刺激が、本格的なコラボレーションへと踏み出す第一歩になったという。パイロット の新規商材の開拓を担当している産業資材営業部部長の岩見純一氏は、その時に受けたインスピレーションについて、次のように述べる。

「パイロットという会社は100年以上の歴史がある中で、常に新しい次の商材を探していました。そこで触れたのが、昨年のコネクテッド・インクでのワコム・井出信孝社長の言葉でした。弊社開発部門のトップである横井秀雄と意気投合した井出社長が仰った『創造的カオスの渦に巻き込まれてみないか?』という言葉に触発され、デジタルペンツールのトップランナーであるワコムさんに協業を持ちかけるに至ったのです」。

現在、両社が取り組む研究テーマが「使い続けても疲れないデジタルペン」。制作に臨むクリエイターが連続して使用すると考えられているからだ。いくつかのプロトタイプをアニメーターらにモニタリングしてもらい、テーマに合致する最適な使い心地を探る。新商品として世の中に送り出される日は、そう遠くないだろう。

まだ見ぬ相乗効果にかける期待

必ずしも直接的なビジネスチャンスの創出だけを目的としないコネクテッド・インクではあるが、遠くにあった(ように見える)「知」と「知」が出会い、新しい創造へとつながる場となったことは実に興味深い。パイロットとワコムの協業のような好例が次々と生まれれば、コネクテッド・インクの存在意義はさらに高まり、一層の創造的混沌につながるに違いない。アナログペンとデジタルペン、それぞれのトップランナーによる協業に向けられる期待は大きい。デジタルとアナログの邂逅が、誰も想像しなかった相乗効果を生み出す瞬間は、もうそこまで迫っている。

editor / writer_ Chikara Kawakami

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