宇宙と人との「メディエーター(媒介者)」が案内。
宇宙芸術が持つ新たな表現の可能性。

宇宙と人との「メディエーター(媒介者)」が案内。
宇宙芸術が持つ新たな表現の可能性。

世界最先端の素粒子物理学の実験施設であるCERN(欧州素粒子物理学研究所)では、「宇宙への好奇心」で結ばれた科学者と芸術家の対話が尽きることはなく、アートとサイエンスが同じ文脈で語られる。宇宙芸術とは何か? 宇宙を知ることで、どんな新しい芸術表現が見えてくるのか? 科学と芸術が融合する最前線からの「問いかけ」とは。 (Banner photo credit: AEgIS experiment at CERN)

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宇宙芸術のフレームワーク

「宇宙芸術」。そのルーツは、ストーンヘンジなどの巨石文化やナスカの地上絵といった古代文明にあるとも言われ、渋川春海(しぶかわ・はるみ)が描いた我が国初の実測星図である『天文成象』なども宇宙芸術と考えてもいいだろう。「人間が宇宙をどのように見てきたか?」という問いに対するアートがすべて宇宙芸術だとすれば、アルタミラやラスコーの原始芸術にまで遡ることもできるが、「Space Art(宇宙芸術)」という言葉自体の登場は1980年代頃とされている。宇宙芸術は、まだ見ぬ宇宙を思い描く「道標(アニメーション作品における「イメージボード」のようなものだ)」としてまずは発展を遂げ、その後、宇宙研究から得られる新しい科学的知見や技術が「芸術の表現手法」に反映された。宇宙について考えるとき、人は哲学的になる。宇宙の起源や仕組みを探索することと、芸術を通じて人間の来し方行く末を想うことは、かなり近しいもののように思える。宇宙や物理の真理は、芸術に関わる人々を動かし続けてきた。宇宙芸術という言葉が指す意味・理解は、その世界に身を置くものの間でも多岐に渡る。

テキサス大学でアート&サイエンスや物理学の教鞭を執るロジャー・マリーナ(Roger Malina)氏は、宇宙芸術を「その実施のために宇宙活動に依拠する現代美術」と定義した。つまり、「宇宙の様子を描いた油絵」も「宇宙の研究から得られた新技術を活用したファインアート」もマリーナ氏の定義する宇宙芸術に含まれる。

「宇宙の音」に触れるときに湧き上がる「美しい」という感覚

「コネクテッド・インク 2021」で披露される宇宙芸術は「サウンドアート」とも呼ばれる音の体験だ。手がけたのは、東京藝術大学専門研究員 / CERN(欧州素粒子物理学研究所) 客員研究員の田中ゆり氏をはじめとする4人の多国籍チームだ。田中氏、CERNの実験物理学者 ウムット・コーセ(Umut Kose)氏、ベオグラード芸術大学のサウンドデザイナー パヴレ・ディヌロヴィッチ(Pavle Dinulović)氏、アルス・エレクトロニカのサウンドアーティスト クリス・ブルックマイア(Chris Bruckmayr)氏が作り上げるサウンドアートは、宇宙から届く素粒子「宇宙線ミューオン」を検出、加えて太陽風のパラメータを抽出し、それらの信号を音に変換・アレンジして人間の耳で聞くという詩的体験につなげるもの。

(Photo credits: Yuri Tanaka, Pavle Dinulović, Umut Kose, Chris Bruckmayr)

田中氏は、自身の役割を「メディエーター(媒介者)」と位置付けている。アーティスト、デザイナー、科学者、技術者といった異なる立場の人たちをつなぎ合わせて物事の全体を構築するのが専門だ。ところで、「CERNという素粒子物理学の研究所が、なぜ芸術に?」という向きもあるだろう。実は、CERNをはじめ、多くの科学研究機関が、芸術家が滞在して共同研究などを行う「アーティスト・イン・レジデンス」という制度が取り入れている。科学者と芸術家の間で対話を重ねることが、新たな研究のヒントや洗練された芸術表現につながるとして、近年、注目されている取り組みなのだ。実際、このサウンドアートの創作の過程でも、「科学者の感じる美しさ」と「芸術家の感じる美しさ」がシンクロすることがあったという。

「宇宙線ミューオンの信号を音の表現に落とし込む中で、信号が作り出す、音楽的なリズムのような振動を見出しました。その音がつくり出す時間と空間は、何だかとても美しいと、仲間たちと共感し合えるものでした」

田中氏とCERNの出会いは、オーストリア・リンツにある文化芸術機関「アルス・エレクトロニカ(Ars Electronica)」に滞在研究員として籍を置いていた2015年のこと。当時、CERNのレジデンスプログラム「Arts@CERN」とのコラボレーションが実施されていた。田中氏は「世界がこうあったらいいな、と思える場所です。CERNは戦後(1954年)に平和のための科学を希求して生まれた国際機関で、どこの国にも属しません。紛争当事国同士の研究者や学生が協働するなど、宇宙にかける思いが人と人をつないでいます。こうした姿は、包括的な宇宙の視点から豊かな生き方を創造し、平和の構築を目指す私の志向と重なるように感じられました。また、CERNはいつもオープンです。芸術家をはじめ異なるタイプの人間を積極的に受け入れてくれて、誰しもが宇宙の中の固有な存在として尊重される気風があります」とCERNを評する。

まだ見ぬ芸術表現を求めて

田中氏の考える宇宙芸術は、これまでの概念をさらに発展させたものだ。「Space(外宇宙)」から「Universe(森羅万象)」にまで範囲を拡大し、全ての物質とエネルギーを捉える素粒子物理学の視点も踏まえた「Cosmic Art(コスミックアート)」という言葉を用いつつ、より多様な芸術表現のあり方を模索している。ここに、デジタルツールを通じて新しい創作の可能性を追求するワコムと想いを同じくする部分がある。「コネクテッド・インク 2021」では、「宇宙の音」に合わせたパフォーマーの共創が展開される。セッションに先立ち、田中氏とワコム社長・井出信孝は、一編の詩を紡いだ。そこには、宇宙と芸術に対する両者の姿勢が表れている。

「宇宙に連なる歌 – コネクテッド・インク 2021」 

瞬く煌きと 儚く眩い光芒のなかで
生成と消滅を繰り返す エネルギーの連なり
それはとても柔らかい、豊饒な宇宙

僕らは本当にそこから来たのだろうか、そして、そこに還るのだろうか
太古の記憶に思いを馳せる
微かに、本当に微かに、なにかが共鳴し始める

振れているのは、人の心
それとも今ここにある 時間と空間
ほのかに揺れ動く河のなかで、私たちはどのように触れ合えるだろうか

絶対座標の幻想が破れ、
全ての情報が揺蕩っていく
いま僕らがここに在る、という確かな証を切望してしまう

中心も果てもない 混沌の世界
信じられるのは心と心
共に感じ合う心の揺らぎはおそらく現実、始まりの瞬間

井出信孝 田中ゆり

19世紀末に独創的な航空および宇宙工学研究を全て独学で成し遂げ、「宇宙旅行の父」と呼ばれる物理学者 コンスタンチン・ツィオルコフスキー(Konstantin Eduardovich Tsiolkovsky)。彼は知人に宛てた手紙の中で「地球は人類のゆりかごである。しかし人類は、いつまでもゆりかごの中にとどまっていることはできない」という言葉で未来を見通していた。遥か宇宙の彼方から届く「宇宙の音」との出会いは、彼が願った「人類の独自の進化」のひとつの象徴だ。猩紅熱の後遺症から耳が聴こえなかったツィオルコフスキー。しかし、いま生きていたとすれば、この神秘的な音色は彼の深く心に響き渡ったことだろう。

editor / writer_ Chikara Kawakami

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