フィギュア文化を担うクリエイター。
「原型師」たちを支えるために、いま、できることを。

フィギュア文化を担うクリエイター。
「原型師」たちを支えるために、いま、できることを。

日本のフィギュア文化は1980年代に登場したとされる。40年を経て、日本を代表するポップカルチャーのひとつとなり、フィギュア制作を専門に教えるコースを設置する美術系大学まで登場している。そのフィギュアがつくられる過程の鍵となるのが「原型師」と呼ばれる存在だ。このクリエイターたちが抱える構造的課題。その改善に向けた取り組みが動き始めている。

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「想像」を「現実」に写し取りたい

「想像を現実に写し取ったもの」がフィギュアであると考えるならば、世界で最も古い部類のフィギュアは、スティアトパイグス型女性土偶の一種である「ヴィレンドルフのヴィーナス」や、獣人合体像として知られる「ライオンマン」などの原始美術に求められる。前者は多産や豊穣を祈る聖像、後者は超自然的発想の具現化によって霊的な啓示を受けるための祭器とも考えられているが、本当のところは誰にもわからない。単純に、「人間は太古の昔からフィギュア的なものを好んでつくってきた」ということかもしれない。

翻って、圧倒的なクオリティで世界中から支持される現代日本の「フィギュア」。ここでのフィギュアが意味するのは、合成樹脂などで本物そっくりに作られた観賞用の造形物全般だ。アニメーションやゲームのキャラクター、動物や想像上の生物、自動車やロボットといった人造物をモチーフとするのが一般的である。2006年、村上隆のフィギュアアート「My Lonesome Cowboy」が1,500万ドル(約16億円)で落札されたことを憶えている人も少なくないだろう。いまや日本を代表するポップカルチャーのひとつとして、フィギュアは確固たる地位を築いている。日本を訪れた著名人たちが挙って日本のフィギュアを買い求めるという姿も、決して珍しいものではない。

原型師なくしてフィギュアなし。しかし...

フィギュアの製造過程において、最初に必要となるのが「原型」と呼ばれるプロトタイプだ。この原型を元に鋳型がつくられ、製品が生産される。フィギュアのクオリティはこの原型が決定づけるとも言え、原型をつくる「原型師」は特に重要な役割を担っている。世界が求める日本のフィギュア。その生命線とも言える原型をつくっているのであれば、待遇も含めて高く評価されていると予想されるが、自由闊達な活動ができているとは言い難いようだ。その要因は複合的だ。

一つ目は「版権」。知名度の高いキャラクターには必ずIP(知的財産権)保有者がいる。フィギュアは「原作を元にした第三者による二次創作」のひとつだが、このIP管理が硬直的で、二次創作の自由度が極めて低い。あるキャラクターのフィギュアを制作した原型師が自身のSNSで公開しようものなら、「IP保有者の許可は取っているのか?」という指摘が引きも切らないという状況が起こりうる。同人誌制作・販売など、IP保有者の利益を害さない範囲での二次創作が慣習的に認められている2D(イラストやマンガなど)の世界とは対照的だ。

二つ目は「市場性」。現状、フィギュアについては、その作り手と受け手が交流するコミュニティがほとんど存在しない。モノや技術の価値は相対比較を通じて見えてくるものだが、そもそも原型師同士が作品の優劣や値付けを確認する場がないため、作品の「適正価格」が見えてこない。結果として、原型師のスキルは買い手優位で取引されていると言えるだろう。

三つ目は「(原型師の)意識」。基本的に、フィギュア原型師は趣味が高じて原型を作っている人がほとんど。原型制作で得る対価は原価を賄えれば御の字で、これで生計を立てようという原型師は非常に珍しい。趣味の範囲で原型制作に勤しむこと自体は何の問題ない。一方で、世界的に高く評価され需要も安定している現状では、原型師自身が適正な対価を得て然るべきという意識を持っても、それは全くおかしなことではないだろう。原型師として身を立てる人が増えれば増えるほど、後進に道を拓くことにもつながる。フィギュア原型師をめぐる課題は、かくも複雑なのである。

原型師として生きていける環境をつくりたい

フィギュア文化を支える原型師が置かれた環境を少しでも改善したい。この課題に一石を投じようと立ち上がったのが、ワコム 代表取締役社長であり、「アート・テクノロジー・学び」を持続的に支えることを目指す一般社団法人コネクテッド・インク・ビレッジの代表理事でもある井出信孝、「すべての人々にクリエイティブに輝ける場所を提供したい」という想いで様々なプロジェクトを手掛ける株式会社ピーエイアイエヌティの代表取締役CEO・池田輝和(いけだ・てるかず)氏、映像・イラスト・フィギュア原型などの制作を行う株式会社イクリエ 濵島広平(はまじま・こうへい)氏。

三者がまず目指すのは、原型師という職能を広く世の中に知ってもらうこと。2Dイラストを手掛けるクリエイターが「絵師(えし)」として認知されているが、その絵師との競演を通じて原型師のクリエイティビティをアピールする機会を作っている。2Dの絵師と3Dのフィギュア原型師が互いを触発することで新たな作品づくりにつなげるもので、2022年春まで続く。コネクテッド・インク2021では、この取り組みの途中経過を発表予定だ。

プロジェクトにヴィジョンをもたらした強い課題意識を持つ濵島氏は、「私たちもフィギュア原型制作を事業のひとつとしていますが、原型師の置かれた状況は必ずしも好ましいものではありません。素晴らしい技術と創造性を持った人は、それ相応の対価を受け取るべきですよね。『原型師ってこんなにすごい人たちなんだよ』ということを少しでも多くの人に知ってもらうために、これまでにない『原型師のためのイベント』を立ち上げたいですね」と展望を語る。

実質的なプロジェクト運営を担う池田氏も、想うところは同じだ。「私は『クリエイターはもっと評価されていい』という想いを強く持っています。2Dの絵師も、3Dの原型師も、その価値は対等ではないでしょうか。『原型師という仕事を選んだ先にある未来』を見せることができれば、将来、原型師になりたいと考えるこどもたちも増えるかもしれませんよね。そのためには、やはり技術や才能を正当に評価する環境づくりが欠かせないのです」

今も変わらぬ「原型を造る仕事」の価値

平安後期から鎌倉前期、多くの仏像彫刻を残した慶派。康慶を祖とする仏師団は、その子・運慶という天才を得て、造仏の世界で一時代を築いた。その運慶の代名詞とも言えるのが、快慶と作り上げた東大寺南大門の「金剛力士像」だ。阿形・吽形ともに全高8.4メートルにもおよぶ傑作は、力強い目鼻立ち、隆々たる筋骨、指先までほとばしる緊迫感など、質実剛健を旨とする鎌倉武士に好まれた作風を湛え、デフォルメされた表現はどこか現代のフィギュア にも通じる。

この世界最大の木像は、わずか69日間で制作されたという記録が残る。およそ3,000の部材から成る寄木造の大作を運慶・快慶の二人で彫り上げたとは想像しにくい。おそらく、運慶が担ったのは、施主や弟子に完成形をイメージさせるための「ひな型」の制作、そして、そのひな型を元に実制作に携わる13人の仏師の統括。つまり、デザイナー兼プロデューサー的立場にあったと考えられる。稀代の天才仏師は今でいう原型師の役割を果たしていたとも考えられる。誰も見たことのないものを、手の触れられる形として世の中に送り出す。「原型を造る仕事」が持つ価値を物語る事実ではないだろうか。


editor / writer_ Chikara Kawakami

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