パイロットとワコムが探索する、「明日の筆記具」の果てしない可能性。

パイロットとワコムが探索する、「明日の筆記具」の果てしない可能性。

筆記具の巨人、デジタルへ踏み出す

創業は1918年(大正7年)。初の純国産万年筆製造に成功し、100年以上にわたって日本の筆記文化の一翼を担ってきた株式会社パイロットコーポレーション。創業者である並木良輔と和田正雄はともに船乗りの経験を持つ。精巧な筆記具を求めてものづくりの大海原へ漕ぎ出した二人は、業界を牽引する存在となることを標榜し、創業から20年を経た1938年(昭和13年)、「水先人」を意味する「パイロット」を社名に冠した。

他社に先駆け最先端技術を市場に投入する革新性が広く知られるパイロット。太軸を採用し、長時間書き続けても疲れを感じにくい「ドクターグリップ」シリーズ、摩擦熱でインクを透明にして書いた文字を消す「フリクション」シリーズなどはその最たるもの。万年筆づくりに始まった技術と伝統は、市場に大きなインパクトを与えるのみならず、新しい筆記文化を創ってきたと言っても過言ではない。

アナログ領域で圧倒的存在感を放つ筆記具の巨人は、近年、これまでその動向を見守ってきた「デジタル領域への進出」に熱い視線を注いでいる。社会のあらゆる分野でデジタイゼーション(ツールのデジタル化)が進展するなか、万年筆やペンに代表されるアナログ筆記具もその趨勢から逃れることは難しい。2020年のコネクテッド・インクを機に始まったパイロットとワコムの共同研究は、時代の要請に応えるための必然の一歩だったのだろう。

音:ペン体験を深く読み解く足掛かりとして

目下、パイロットとワコムが取り組むのは「音が書き味に与える影響」の研究だ。パイロットで産業資材営業部部長を務める岩見純一(いわみ・じゅんいち)氏は、この研究が歩み始めるに至った経緯を振り返る。

「音に関する研究も、昨年のコネクテッド・インクでの偶然の気づきがきっかけとなっています。研究の発想も、これまでのパイロット社内には全くなかったもの。この新たな視点は、アナログ(=パイロット)とデジタル(=ワコム)のハイブリッドがもたらしてくれた恩恵のひとつです」

両社の共同研究が掲げるテーマのひとつが「8時間以上、『書く』『描く』を支える」というもの。(一日あたりの一般的な創作時間と考えられる)8時間以上使い続けられるデジタルペンのあり方について、アナログとデジタルそれぞれで培った知見を持ち寄り、新たなプロダクト開発に邁進している。最初に注目したのが「音」という要素だ。万年筆で便箋に文字を書くときの「音」。鉛筆で画用紙にデッサンするときの「音」。絵筆でキャンバスに絵を描くときの「音」。それぞれの道具を思い浮かべるとき、私たちの耳の奥ではそれぞれに特有の「音」が響く。音が、心地よさ、創作時の感情に少なからぬ影響を及ぼすことも直感的に理解できるだろう。「音と書き味との関係性」を明らかにしようというのが、この共同研究の狙いだ。万年筆やペンといったアナログ筆記具の場合、ひとつの筆記具がもたらす音は基本的にはひとつしかない。筆記具と音の組み合わせを比較検討したければ、そのパターンの数だけサンプルを準備する必要があり、これはかなりの負荷となる。それに対してデジタル筆記具は、ソフトウェアによってコントロールすることにより、ひとつの筆記具で複数の音を再現することが可能だ。アナログの音をデジタルによって再現度高く表現することはもちろん、常識からは思いもつかない組み合わせが予期せぬ発見をもたらすこともあるかもしれない。

アナログとデジタルを軽やかに行き来する

岩見氏のもとで新規商材の営業を担う野村成規(のむら・しげのり)氏は、アナログとデジタルの邂逅から生まれる発見と、その先に見える未知なる可能性についても否定しない。

「パイロットが目指すものとして『究極の書き味』がありますが、これは時代や社会の変化とともに変わり続けています。万人にとって共通で、唯一無二の『究極の書き味』というものは、おそらくは存在しないでしょう。そこでアナログとデジタルの融合が重要となります。アナログの場合、起点は『モノ』です。モノの持つ価値を評価してもらうということ。一方、デジタルでの起点は『人』です。様々な変数を動かしながらデータを取得し、人間にとっての最高のモノとは何かを提案することができます。ただし、デジタルにはデジタルならではの知識と経験が欠かせないため、パイロットだけでは難しい。私たちのパートナーシップは、お互いの強みを持ち寄るところに価値があると考えています。デジタルツールにとっては『アナログツールの良さをいかに再現するか』という視点が中心かつ重要ですが、もちろんそれだけではありません。デジタル領域での研究から得られた新たな知見が、私たちのオリジンである万年筆などの筆記具といったアナログ領域へとフィードバックされていくことも、この先にはあるかもしれないのです」

こうした研究が進んだ未来には、創作者の体調や感情、その時のモチベーション、創作のフェイズなどに合わせて、最適な音を提案してくれるデジタル筆記具が誕生するかもしれない。それはもう、「夢の筆記具」だろう。

「人と創造力をつなぐ。」ために

2022年4月、揺るがない経営の志とすべく、パイロットは新たな「パーパス(自社の存在意義を明文化し、社会に与える価値を示したもの)」を制定した。「人と創造力をつなぐ。」という短くも強い言葉に込めるのは、創業から100年以上を経て成熟期を迎えた企業文化を現代に沿った文脈で捉え直して世の中に伝えたいという想いだ。岩見氏は言う。

「私たちはこれまで『書く、を支える。』というコーポレートスローガンを掲げてきました。そして今年からは、『書く』という範囲を超えて、『知的な喜び』や『文化的な体験』を届けることが重要と考え、このパーパスを定めたのです」

「人間は、その起源以来、本当に進化してきているのだろうか?」「ワコムの道具は、本当に人間の創造性に寄与していると言えるだろうか?」という今年のコネクテッド・インクにおける2つの問い。「パイロットとして、この問いに対していかに答えるか?」と投げかけると、「当社は人間が抱える課題を解決する姿勢を持ち続けることで、人間の創造性にも貢献してきたのではないかと思う」という言葉が返ってきた。「人と創造力をつなぐ。」ことができれば、それは人間が持つ豊かな創造性を解き放つことにつながるだろう。コネクテッド・インクを契機に始まったワコムとの二人三脚が「人と創造力をつなぐ。」ための天啓となると考えると、まだ見ぬ「明日の筆記具」に対する期待の高まりを抑えることができない。

editor / text _ 川上主税(Chikara Kawakami)